備忘録

99年生まれの大学生が、旅したり、ライブにいったり、良書に出会ったときに更新するよ。

「桐島」から夢中になることの尊さを学んだ

 

朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」の読書感想文的記事です。駄文です。

 

読む前の印象

桐島、部活やめるってよ

噂話を誰かに流布する口調のようなこのタイトルは妙に印象深く、中学生のころからずっと頭に残っていた。ただ、実際に映画館に足を運んだり、原作を読んでみたりはしなかった。

 

その後、再びこの作品を意識するようになったのは、素人の方が劇中のシーンを切り貼りして製作した、ヒップホップユニット“Creepy Nuts”の「トレンチコートマフィア」のMV風動画を見てからだ。


Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / トレンチコートマフィア【MAD 桐島、部活やめるってよ】

 

考察力の乏しい私はこの動画を見ても「あ~~、私生活が充実してる同級生に揉まれながら、桐島とかいう映画好きのオタク高校生が映画をつくる話なのかな~~~」くらいの印象しか抱かなかった。

 

しかし、原作者が先日エッセイ集を読んで感化された朝井リョウさんであることを知り、朝井さんがこの動画に登場する生徒たちの心情をどのように表現するのか興味を持ち、読んでみることにした。

 

読了後 

率直な感想

以前読んだことのある「何者」と同様に、それぞれの登場人物が一歩引いて自身を客観視する描写の精巧さに終始感動して、なんやかんやあっという間に読み終えた。また、予想とは裏腹に、映画好きのオタク高校生は桐島ではなかった。ビックリ。

 

中高時代を回想して

中高の多感な時期、誰もが自分の置かれている立場や周りの人の性格を分析して、それぞれの場面において適切な立ち振る舞いをしてきただろう。私も例によって、そのようにしてきた人の中の一人である。しかしそれは特に意識して行っているわけではなかった。

 

この作品では、その特に意識していなかった思考過程が生々しく、かつ家族や友人、彼氏彼女などとの複雑な関係も絡めて描写されている。高すぎる自尊心によって、相手を必要以上に貶めて分析し、傲慢に立ち振る舞っている生徒もいれば、低すぎる自尊心によって、自分を必要以上に低く評価して、窮屈に生きる生徒もいる。そんな一種のハードな心理戦(?)が行われている場でこれまで生活してきたと思うと、今さらすごくしんどい気持ちになった。

 

ハードな心理戦が行われてたであろう中高時代の自分を振り返ってみる。進級、進学するとき、新しく出会う人には第一印象で「根暗」とか「陽キャ」といったレッテル貼りをなるべくしないようにしていたつもりだ。そのようにレッテル貼りして付き合う人を見定めている人たちが、すごく窮屈な世界で生きているように見えたからだ。しかし、最初に話しかけるときには、その人の趣味、所属する部活動、普段付き合ってる人たちの性格をそれなりにリサーチしたうえで話しかけていた気がする。結局、自分もレッテル張りに近いことをして、これから付き合う友人を決めていたのだ。窮屈な世界で生きていたのだ。なんだか悲しくなってきたな。

 

おじさんの言葉と未来への絶望感 

そういえば、知り合いのおじさんに「お前、いじめられたから野球部じゃなくてテニス部に入ったんだろ?」とからかわれたことがある。これは、私が幼少期から地元のプロ野球団の大ファンであり、相当な野球好きにも関わらず、なぜテニス部に入部したのかが話題にあがったときの発言だ。とりあえずそのときは「野球部にも仲のいい友人はたくさんいますから~」と適当に答えたが、その後なぜ自分がテニス部に入ったのかしばらく考えるきっかけとなった。「単純にそのスポーツへの興味や部のレベルで部活選びをしたはずだけど、競技をしている先輩たちのランクやカーストも見て決めていたのか?」と。「いつのまにか自分はそんな面倒なことを気にするようになってしまったのか?」と。

ていうか酔ってるとはいえ、よくそんなこと直接言えたな、おっさん。

 

この本を読んでみて、あのときのおじさんには、人をランクやカーストで測るものさしが思考回路に植え付けられているのだろうとうかがえた。そしてこれから先、私は就職して社会人として生きていくようになっても、“人間として相手が上か下か”を気にして生きていくんだろうと予測してしまった。めちゃくちゃうんざりした。そうなったら、めちゃくちゃしんどいだろうなぁ~~~~。

 

夢中になるという”ひかり”

それでも、これまでの中高時代の思い出として浮かぶのは暗いものばかりではない。必死こいて勉強してなんとか第一志望の高校に合格したこと。負けるたびに試行錯誤しながら練習して、納得のいくかたちで高校の部活動を引退できたこと。高3のとき、課外授業の合間をぬって夜遅くまで準備して、劇を披露できたこと。うぬぼれた言い方、ダサい言い方かもしれないが全部光り輝く思い出だ。これらに共通しているのは、当時の私は人の目を何一つ気にせず突き進んでいたということだ。

 

この作品内でも、カースト上位の友人や彼女と円満な関係を築きながらも、冷静に彼ら、彼女らを分析して悶々と過ごしている菊池が、カースト下位でありながらも映画撮影に没頭する前田を見て“ひかり”を感じ、次第に中途半端な自分にいら立っていくシーンがある。

 

私は、このシーンと自分の経験を重ね合わせて、純真無垢に夢中になることはものすごく尊いことだと気づいた。人が夢中になっているとき、人間関係のめんどうなことは意識の外に置くことができ、第三者からも輝かしく見える。

 

 桐島とトレンチコートマフィア

以下は、私がこの作品に触れるきっかけとなった「トレンチコートマフィア」のサビの歌詞の一部である。

 

世の中がどうかしてる

なら火つけろ導火線

周りの目がどうだって

今からでも遅くはねぇ

 

これはCreepy Nutsからの「不満があるなら、なにか夢中になってやってみろよ」というメッセージであり、作品内の登場人物へのメッセージにもなっているのだろう。多分。

 

しかもこれ、当時UMB(日本一のラッパーを決めるフリースタイルラップバトルの大会)で三連覇を成し遂げたR-指定が書いた詩だからめちゃくちゃ説得力があるな。

↓一番好きなR-指定のバトル。見て。


"R-指定 vs 晋平太" UMB2010 GRAND CHAMPIONSHIP [ENG SUBS]R-Shitei vs Shinpeita UMB2010 GRAND CHAMPIONSHIP

最後に

あれこれ書き連ねたが、結局一番すごいのはタイトルに「桐島」と入っているのに、桐島がほとんど登場しないこと。セリフも最初の回想で少し入るくらい。やっぱ朝井リョウすごいな。

 

 

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 

オードリー若林の友人、朝井リョウに感化されたよ。

朝井リョウさんの「時をかけるゆとり」を読んだ感想文みたいな記事です。

 

 

私はラジオが好きだ。めちゃくちゃ好き。特にオードリーのオールナイトニッポンが好き。いいことが続いてテンションが上がりまくった一週間も、嫌なこと続きで飲みまくった一週間も、必ず土曜の夜には、お決まりのタイトルコールとビタースイートサンバとともに部室感満載のトークが繰り広げられて、得も言われぬ安心感に包まれる。この感じがたまらなく好きだ。ていうか「部室感」ってすげぇだせえな。あと、ビタースイートサンバはラジオを聞かない人はパッと思い浮かばないかもしれませんが、金麦のCMで流れてるアレです。

↓アレ


檀れいCM集 金麦 サントリー suntory

 

 

 

このラジオのエピソードトークにはオードリーの二人と仲の良いマネージャー、番組スタッフ、芸能人の名前がたびたび登場する。その中の一人が作家の朝井リョウさんだ。彼は数年前にゲストとして出演され、そこでのオードリーとの絡みはかなりおもしろかった。そこで、朝井さんに興味をもち調べてみたところ、なんとエッセイ集を出していることが発覚。そして、朝井さんが私と同じ大学生のときの出来事を綴ったものであることも発覚。さらに、タイトルが「時をかけるゆとり」とかいうなんかおもしろそうなものだと発覚。そんなワクワク情報を得て、私はすぐに古本屋に駆け込んでこの本を購入した。そして読んだ。

↓朝井さんがゲスト出演した回

www.youtube.com

 

 

 

朝井さんのエピソードには私と似通ったものがそれなりにある。例えば、日本各地に無計画で旅行した話は、私が昨年の春に青春18きっぷで無計画に東京から九州・小倉へと向かい、広島あたりで尻と腰が限界を迎えた話に似ている(ような気がする)。また、中学生時代に視力低下や花粉症がなんとなくかっこいいと思っていたという痛々しい話は、私が過激な言葉を用いたボカロ曲やカリスマラッパーの曲を死ぬほど聞きこんでいた話と似ている。書き起こしただけでも顔から火が出てしまいそうなほど恥ずかしい話である。

 

 

 

このような体験を私は、世の人々が生きる上で通ってきた「ありふれた体験」だと感じていた。そのため、自分は凡人であり、むしろ大学受験も盛大に失敗しているし、女性へのアプローチでうまくいった試しなどないため、周囲よりも劣っていると感じることが多々あった。

 

 

 

一方で、朝井さんは私と似たような経験をしているはずなのに、なぜか一つ一つのエピソードが輝かしいものにみえる。もちろん、早稲田大学在学中に直木賞を受賞したエピソードは、その見出しだけで眩い輝きを放っているが、その他のエピソードも地味な見出しからは想像できないほどおもしろい。高速バスに乗りながらこの本を読んでいたのだが、あまりにもおもしろすぎて度々吹いてしまい、隣に座っていた同年代と思しき青年に白い目で見られたほどだ。

 

 

 

この面白さは朝井さんが幼いころから築き上げた文章力の賜物であることは明らかだ。それに加えて、あえて一歩引いた目線で自分、または自分が属する集団を俯瞰する観察眼の鋭さによるものでもあるだろう。これは、数年前に読んだ朝井さんの著書「何者」でも感じたことであり、作品内における仲間と協力して就活を乗り切ろうとする主人公の自らに対する考察が鋭くてゾクゾクさせられた。そして、その観察眼は朝井さんが数々の文章を思考する過程の中で鍛えてきたものだろう。私は大学生の日常がこんなにもおもしろく描写されていることに感激した。

 

 

 

 

いま世間ではインスタグラム大流行中であり、そこら中に“映え”を狙った写真を撮ることに命を懸ける、それはもう逞しい人々で溢れかえっている。こんなふうに斜に構えて揶揄する私も、なんやかんやで友人たちが投稿した写真に影響されて、年に数回ほど映えスポットに行ってちゃっかり写真を撮ってしまう人種の一人である。

 

 

 

しかし、改めて考えてみると、インスタグラムのような写真メインのSNSによって、その写真に写っている”一瞬”しか振り返ることができなくなってしまう身体になってしまっているのではないかと思う。本当はそのきれいな写真の裏には、道中のあれこれ(立ち寄ったサービスエリアの喫煙所が簡素すぎて喫煙者同士でネクスコに対する文句を言いあったり、旅館で夜通し尻フェチの友人の講釈を聞かされたりするなど)がたくさんあるはずなのにだ。それが全く言語化されず、たった数枚の写真に集約されてしまうなんて、なんとまぁ悲しい話だろうか。そのため、この大SNS時代、美しい写真を撮るのが苦手な人たちは、本当はそれなりにいろんな経験をしているのに、「自分は充実していない...」と感じて、ネガティブな気持ちに苛まれてしまうのだろう。自分もその一人だ。

 

 

 

思い出が写真で共有できて、簡単に他人と日常の比較ができてしまう今だからこそ、経験を言語化して、自分と向き合うことが必要なのではないか。このプロセスによって、どんな人もそれぞれの日常に”彩り”を見出すことが出きるだろう。朝井さんのこのエッセイのように。

 

 

 

また、経験の言語化のプロセスによって身についた発見力や分析力こそが、課題発見力、解決力につながるのではないだろうか。これは高校の総合の時間とか大学のキャリアセミナーみたいなやつで口酸っぱく言われ続けたアレなのかもしれない。というか多分そうなんだろうけど、私はこの本を読んで振り返る中でやっとこんな重要なことに気づいた。いや、遅すぎないか?

 

 

 

というわけで、これから私は旅に出たり、ライブに行ったり、良書と出会ったときには駄文を綴っていこうと思います。SNSで無駄に他人と比較して落ち込んだりしないために。そう遠くない“就活”とかいう通過儀礼のために。

 

 

どうか三日坊主になりませんように。

 

 

 

 

時をかけるゆとり (文春文庫)

時をかけるゆとり (文春文庫)